南三陸町

家族写真はぼくにとって特別なものです。
この世界に入ったときは正直全く興味がなく、むしろ避けていました。
誰もが目にするような広告やタレント撮影に憧れがあり、家族写真なんて自分が撮ることはない!って周りにもよく宣言していました。

そんな日々のなか起きたのが、2011年3月11日の東日本大震災です。
地震の瞬間は大阪のスタジオでアパレルの撮影をしていました。
でっかい地震やったなっていう程度の感覚で撮影を続行し、
事務所に戻ってテレビを見て驚愕したのを今でもはっきりと覚えています。

そこから連日流れてくる悲しい報道のなかにどうしても忘れられないものが一つあります。
津波警報が鳴り響くなか、家族で高台に避難しようとしていたおじいちゃんが家族の制止も振り切り、
突然引き返しそのまま津波に飲み込まれたという話です。
そのおじいちゃんは遺体で見つかり、その胸には家族のアルバムを抱いていたそうです。

何より生きる選択をして欲しかった。
命と引き換えにでも守りたかった家族写真の重みを知った。
そのときからぼくの写真の捉え方が変わりました。

写真は遺すもの
写真は継ぐもの
そして、
過去を懐かしむためではなく、いま生きているこの瞬間を豊かにするもの

写真館をやろう!!
それがぼくの目標となりました。

ぼくはジャーナリストでも、報道カメラマンでもありません。
だから、この写真は何かを伝えようとして撮ったわけではありません。
写真家としての原点、南三陸町を訪れた記録です。